2018年に生活が大きく変わって、作曲コンクールに目がいくようになった。それ以前にコンクールに応募したことはあったが、運試しのような感覚だったのでうまくいくはずもなかったが、2018年に目の前が真っ暗になると、すがるようにコンクールを目指した。それは端的に言って生活を根本から変えたかったからである。そしてまず、(失礼な言い方になるが)手始めにと軽い気持ちで応募したコンクールで賞をいただいた。より本格的な賞を目指そうと、2019年から朝日作曲賞(合唱)に応募した。初めて応募した時はまだまだ未熟で、当然落選した。それから毎年応募した。今年も応募した。2020年、2021年に佳作をいただいた。2022年は演奏審査まで残ったが、賞には到らなかった。2023年、2024年(今年)は譜面審査で落ちた。今思えば、ピークは最初に賞をいただいた2020年だったように思う。2021年はかろうじて賞をいただいたように感じる。これも今思えばになるのだが、毎年応募するごとにだんだんと作品の質が落ちていったように思える。応募当時はこれ以上の曲はもう作れないという気持ちで自分の中での最高の作品として楽譜を送っていたのだが。落ちるたびに次第にコンクールに受かるための作曲をしてしまっていたんだと振り返る。もともとはピアノ曲ばかり作っていた自分には、詩に曲をつけるのはいろいろ制約も感じるし向かないと思うに至り、次を最後のチャンスとして今年応募した。最後のチャンスとして選んだ詩が自分には向いてるととても気に入り、今まで応募した作品の中で一番ワクワクしながら作曲した。

もうこの先はないという気持ちで応募した。応募直前でパソコンが壊れてしまい、楽譜を作成していた日々をすべて無にすることは絶対に嫌だと、急いで近くのパソコン屋さんに駆け込み、他のデータは手放しても、この合唱組曲だけは復元して欲しいと頼みこみ、どうにか復元してもらって、応募に間に合った。でも、見事に譜面審査で落選した。落選通知を見た時にはさすがに落ち込んだし、歳のこともありもう自分には未来がないと思った。正直、あぁ、こんな八方ふさがりで未来なんてあるようには思えない心境が膨らむと人はよからぬこと(取り返しのつかないこと)を考えてしまうんだろうなと、その手段を選ぼうとする人たちに理解を感じてしまった。余談だがもうひとつ言っておくと、佳作では状況は何も変わらなかった。一位を取らなければ意味がないと痛烈に感じた。
しばらく落ち込んであとは、今回の落選をいい機会として自分自身の音楽ともう一度向き合い直したいと思った。というかそう思うしかなかった。まだ生きていたいから。でもそう思ったら一気に曇りが快晴に変わった。今はすがすがしい気持ちになっている。あることに気づき、自分の作るべき音楽がやっと見つかったような気がするこのGWでもあったと思う。そして、もう朝日作曲賞を目指すのはやめようと決めた。しばらくはコンクールのことを考えるのはやめようと思った。
タイミングとして幸いなことに、今月は自作の合唱曲を初演する演奏会がある。

那覇混声合唱団の皆さんには感謝しかないのと同時に、新曲ゆえに多分にご苦労をおかけしていることに申し訳ない気持ちを感じつつ、ピアニストとして共演することの喜びも感じている。
そして、来月あたまにはむさし野ジュニア合唱団「風」さんとの共演もあり、こちらも新曲の初演があり、とても楽しみである。こちらの合唱団は2018年に何も無くなった僕を救ってくださった前田美子先生がご指導されている合唱団である。前にも書いたがとにかく歌声が澄んでいて美しく、作曲のインスピレーションを与えてくれる。

この約6年、人生についていろいろ考えることはあったが、この2つの合唱団の存在は僕にとってものすごく大切な存在であり続けた。そのおかげで今日まで腐らずに生きてこられたと言っても過言ではない。
本当に本当に心からありがとうございますm(_ _)mm(_ _)m