良いコンサートになりました

去る日曜日、2回目のミニコンサートを無事に終えることができました。

聴きに来てくれた友人たち、チラシを見てきてくださった方、たまたま食事に来てコンサートに遭遇して最後まで聴いてくださった方々、ありがとうございました。そしていつもとても温かく親切に接してくださるお店のスタッフの方々には感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいです。

今回、聴いてくださった方々の反応が直に感じることができ、とても嬉しく思いました。「言葉』ではなく「音楽』で思いを伝えるという僕の一番の目標への一歩を踏み出したような気持ちです(それぞれの曲の副題の言葉が影響したことはもちろんあるとは思うのですが)。前回より演奏の質を変えたことが功を奏したのかなとも振り返っています。また、店内そのものがアットホームな雰囲気を演出していて、それはスタッフの皆さんの心遣いに満ちた接客によるものなのですが、ホールでのコンサートで感じるような緊張感がまったくなく、僕自身もお客さん方もリラックスできる環境に身を委ねて、このミニコンサートを楽しんだんじゃないかと思います。

そして今回のミニコンサートを通じて、良い出会いがありました。これから音楽活動を続けていくうえでの楽しみが増えました。とてもありがたいことです。

友人が動画撮影をしてくれて、後からそれを見て、改善すべきところも見つけたので、次回につなげていこうと思います。また大きな課題も見えたのでそこを考えなければと身が引き締まる思いでいます。

 

次回(7月12日)のコンサートについて

2回目のミニコンサートの日程も決まり安堵しているところです。今回は街カフェCOCOONさんのInstagramにも告知を載せていただき、店内にもチラシを置いていただき、いらっしゃるお客さんにもチラシをお渡ししてくださっているとのことで、とても恐縮するとともに、頑張らねばと気が引き締まる思いでいます。

さて、今回のプログラムは前回と同じような流れになっていますが、Consolationのそれぞれの曲は前回よりも多様になっています。前回はどの曲もどちらかというと「なぐさめ」の意味通りの心地よい音楽でしたが、今回の曲は前回のよりも一歩踏み込んだ感じのする曲が多いと思います。特に『Consolation24~不安を断ち切れるように~』は「なぐさめ」→「励まし(後押し)」へと進んでいると思います。そっと寄り添うことから少し意味合いが変わってくるように感じるかもしれませんが、根底にあるのは寄り添いであることには変わりありません。『Consolation11~悲しみから立ち直れない人へ~』は悲しみという感情を共有することから始めています。

 

僕の目標は言葉のない音楽が世の中に浸透していくようにすることです。聴く人にはConsolationのそれぞれの副題からイメージと思いを広げてもらえたら嬉しいです。

 

ミニコンサートを終えて思うこと

東京での初めてのミニコンサートが終わって一週間が過ぎた。その間いろいろなことを考えた。反省点や改善点もあるが、一番思うことは、Consolation(なぐさめ)の思いが聴く人に伝わっていたかということ。終わってみて振り返ってみて気づくこと感じることってたくさんあるし、考えさせられることばかりだ。自分のConssolationがちゃんとその役割を果たせているのか、作った時には思いが詰まっていると思っていたが、お客さんの反応を見ると、果たしてどうなのだろうかと考えてしまう。今回は特に終わった後に各テーブルを回って一言ご挨拶をさせていただいたので、お客さんの様子が間近で見ることができた。

言葉の無い音楽で何かを伝える、印象に残す、心に留めさせるのって、とても難しいのかなぁと感じた。

でも本当に疲れている時、つらいと感じている時、落ち込んでいる時などに言葉がかえって邪魔に感じることってないだろうか。そんな時に黙ってそばに寄り添いたい、寄り添って少しでも心の重荷を軽くしてあげることができたら…、そんな思いで作曲したConsolation、言葉の無い音楽にも力はあると信じている。自分のConsolationにもそんな力が宿っていてほしい。なので、今回のようなコンサートをシリーズ化して続けたい。大勢の人というより、たとえ少数だとしても、つらいこと、苦しいことなど誰にも言えずにいる人へこの音楽を届けたい、そういう人にこんなコンサートがあること、こんな曲があるということを知ってほしい。そんな思いでまたコンサートをしたいと思う。

東京に出てきて、まだ無名中の無名な自分にとって、街カフェCOCOONさんのミニコンサートのシステムは大変ありがたいし、上記のような思いを実現するにはぴったりのシステムだなと思う。カフェ営業中でのコンサートなので、敷居も低くふらっと入ってこれるので、コーヒーなど飲みながら気楽に演奏を聴いてもらえたら、そしてあわよくば記憶に残ってもらえたらとても嬉しい。

そんな淡い期待を持ちながら次回のミニコンサートの準備をしていこうと思う。

(文章が支離滅裂になってしまってすみません…m(_ _)m)

(👆友だちが写真を加工してくれました笑)

ミニコンサートの曲について

約2年ぶりの更新です。

2025年4月に沖縄から関東に出てきてもう1年が過ぎました。この1年今までに経験したことのない大きな、貴重な経験をさせてもらいました。

そして、上京して初めてのコンサート(30分程度のミニコンサートですが)をすることにしました。詳しくは👇のチラシをご覧ください。

プログラムの中のConsolationについて、少しお話します。

2024年5月に急に思い立ちConsolationを作り始め、10月までに一気に30曲を作りました。その背景には沖縄を離れることを考えていたというのがあります。その頃の僕は心の中のモヤモヤがピークに達しつつありました。このモヤモヤを曲として昇華できないだろうか、それをしなければ自分が壊れそうな気がしたというのが一つ。もう一つは贖罪の意味を込めたということ、これまでの人生を振り返り、僕はいろんな人を傷つけてしまったり、嫌な思いをさせてしまったり、恩知らずなことをしてしまったり、親孝行できなかったり、などなど胸を張れるような人生ではなかったと痛感してしまい、それが今のモヤモヤな状況を作ったのだという考えに至り、せめてもの罪滅ぼしとしての思いからConsolationの作曲を思い立ったというのがあります。

引っ越してきてからずっと考えていることがあります。それは僕が今までずっと音楽を続けてこれたのはなぜかということです。今は亡き両親をはじめ、恩師や数少ない友人、仕事で関わった人たち、たくさんの人たちのおかげであるのにも関わらず全然恩返しもできていないことに、胸が張り裂けそうになることもあります。地元を離れて一層強く感じています。

Consolationは「なぐさめ」という意味です。クラシック作品ではフランツ・リストの6曲からなるConsolationsがあり、特に第3番が有名です。

僕のConsolationsはその意味の通り、聴く人に寄り添うために書いた曲です。それを意図して書きました。それぞれの曲には副題がついています。上記のように胸を張れない人生だった僕が少しでも人の役に立ちたいという思いが入っています。もしかしたらちょっと押し付けがましく感じられてしまうかもしれませんが、ぜひ必要だと思われる人に届けたいという気持ちで臨む今回のミニコンサートです。


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那覇混声合唱団60周年記念演奏会にて

もう2か月以上も経つんだなぁ~、早いなぁ~、

日々をせわしくしているとこんな感覚になるんだなぁと思う今日この頃。


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初演の苦労を目の当たりにして、申し訳なさとありがたさが交錯して、複雑な気持ちです。

本当に、本当にありがとうございました。

↑映像の中で特筆すべきは朗読を担当してくださった福永武史さんでしょう。

リハーサルの時などは、詩の朗読の直後のピアノの第1音にゾワゾワッと来たのを今でも覚えている。福永さんの力に後押しされて本番を乗り切れたと、ものすごく思う。

ありがとうございました。

映像を残してくださった福永周平さん、ありがとうございました。

那覇混声合唱団のみなさん、本当にありがとうございました。

今回の貴重な経験を、本当にありがとうございました。

細々と活動している僕にとって、ぜいたくで最高の経験となりました。

コンクールを受け続けて

2018年に生活が大きく変わって、作曲コンクールに目がいくようになった。それ以前にコンクールに応募したことはあったが、運試しのような感覚だったのでうまくいくはずもなかったが、2018年に目の前が真っ暗になると、すがるようにコンクールを目指した。それは端的に言って生活を根本から変えたかったからである。そしてまず、(失礼な言い方になるが)手始めにと軽い気持ちで応募したコンクールで賞をいただいた。より本格的な賞を目指そうと、2019年から朝日作曲賞(合唱)に応募した。初めて応募した時はまだまだ未熟で、当然落選した。それから毎年応募した。今年も応募した。2020年、2021年に佳作をいただいた。2022年は演奏審査まで残ったが、賞には到らなかった。2023年、2024年(今年)は譜面審査で落ちた。今思えば、ピークは最初に賞をいただいた2020年だったように思う。2021年はかろうじて賞をいただいたように感じる。これも今思えばになるのだが、毎年応募するごとにだんだんと作品の質が落ちていったように思える。応募当時はこれ以上の曲はもう作れないという気持ちで自分の中での最高の作品として楽譜を送っていたのだが。落ちるたびに次第にコンクールに受かるための作曲をしてしまっていたんだと振り返る。もともとはピアノ曲ばかり作っていた自分には、詩に曲をつけるのはいろいろ制約も感じるし向かないと思うに至り、次を最後のチャンスとして今年応募した。最後のチャンスとして選んだ詩が自分には向いてるととても気に入り、今まで応募した作品の中で一番ワクワクしながら作曲した。


もうこの先はないという気持ちで応募した。応募直前でパソコンが壊れてしまい、楽譜を作成していた日々をすべて無にすることは絶対に嫌だと、急いで近くのパソコン屋さんに駆け込み、他のデータは手放しても、この合唱組曲だけは復元して欲しいと頼みこみ、どうにか復元してもらって、応募に間に合った。でも、見事に譜面審査で落選した。落選通知を見た時にはさすがに落ち込んだし、歳のこともありもう自分には未来がないと思った。正直、あぁ、こんな八方ふさがりで未来なんてあるようには思えない心境が膨らむと人はよからぬこと(取り返しのつかないこと)を考えてしまうんだろうなと、その手段を選ぼうとする人たちに理解を感じてしまった。余談だがもうひとつ言っておくと、佳作では状況は何も変わらなかった。一位を取らなければ意味がないと痛烈に感じた。

しばらく落ち込んであとは、今回の落選をいい機会として自分自身の音楽ともう一度向き合い直したいと思った。というかそう思うしかなかった。まだ生きていたいから。でもそう思ったら一気に曇りが快晴に変わった。今はすがすがしい気持ちになっている。あることに気づき、自分の作るべき音楽がやっと見つかったような気がするこのGWでもあったと思う。そして、もう朝日作曲賞を目指すのはやめようと決めた。しばらくはコンクールのことを考えるのはやめようと思った。

 

タイミングとして幸いなことに、今月は自作の合唱曲を初演する演奏会がある。

那覇混声合唱団の皆さんには感謝しかないのと同時に、新曲ゆえに多分にご苦労をおかけしていることに申し訳ない気持ちを感じつつ、ピアニストとして共演することの喜びも感じている。

そして、来月あたまにはむさし野ジュニア合唱団「風」さんとの共演もあり、こちらも新曲の初演があり、とても楽しみである。こちらの合唱団は2018年に何も無くなった僕を救ってくださった前田美子先生がご指導されている合唱団である。前にも書いたがとにかく歌声が澄んでいて美しく、作曲のインスピレーションを与えてくれる。

この約6年、人生についていろいろ考えることはあったが、この2つの合唱団の存在は僕にとってものすごく大切な存在であり続けた。そのおかげで今日まで腐らずに生きてこられたと言っても過言ではない。

本当に本当に心からありがとうございますm(_ _)mm(_ _)m

僕が石嶺小学校を辞めた訳

僕が小学校の合唱で子供たちに暴言を吐いていたというデマが流れているなら、僕が石嶺小学校を辞めた件に関してもデタラメが出回っているのではないかと疑心暗鬼になるのもなんなので、今さらですが、僕が石嶺小学校を辞めることになった経緯を書き留めておこうかと思います。

2018年6月某日、石嶺小学校合唱部の保護者の飲み会があり、僕も指導者の先生も参加しました。そこで、僕はこの先生と言い争いになってしまいました。(当時、僕は石嶺中学校混声合唱クラブの指導もしていて、そのことでだと思います。)そして、どういう流れでそうなったのかは覚えていませんが最後に僕が捨て台詞のように「おまえ、二度と中学校に関わるなよ!」と怒鳴ってしまい、そのまま店の外に出ました。一緒に出てきた一人の保護者にあの言い方はよくないと諭され、店に戻って先生と周りの保護者に謝り、そのまま帰りました。

翌日、この先生に発してしまった「おまえ」という言葉が頭から離れず、罪悪感に押しつぶされそうになっていました。先生が上司などに「おまえ」と言われるのをとても嫌っていることを知っていたので、なおさら罪悪感で他のことが考えられなくなっていました。どうしようどうしようと思い悩んで思い悩んで、責任を取って辞めようという結論に達しました。今考えると責任を取るというより、押しつぶされることから逃げたんだと思います。

それで、さらに翌日になって、先生にメールで、飲み会の時に「おまえ」と言ってしまったことを改めてお詫びしたうえで、合唱部を辞めさせてほしいと伝えました。すぐには返事が来ませんでした。やっぱりまだ怒ってるんだと思いました。次の日になっても返事は来ませんでした。相当怒ってるんだと思いました。そしてその次の日になってようやく返事が来ました。「……私もシバミツさんから卒業しないといけないのかもしれません……」という返事でした。ああ終わった…と思いました。

そしてそのことを、飲み会の時に僕を諭してくれた保護者に伝えたところ、「もう一回だけ先生とお話しして!一緒に行くから。」と言ってくれて数日後に一緒に先生のところに行きました。でも僕はずっと黙っていました。自分が悪いのだから何も言えないと思ったのと、ここで僕が何かを話したらまた言い合いになっても嫌だと思ったからです。ずっと相手の話を聞いてもう終わりという頃に、一緒に来てくれた保護者に、最後に言いたいことがあるんじゃないかと背中を押され、ボソッと「ほんとはもっと一緒にやりたかった」と言ったら、「シバミツさん、ずるいよ!!」と言われました。

それをもって石嶺小学校合唱部との関係が終わりました。

先のことは何も考えていなかったので、一気に暇になり、お先真っ暗状態で、途方に暮れました。

 

こんな感じです。長々とした文章をここまで読んでくださってありがとうございます。

心の中のモヤッとしたものをやっと外に出せたので、気持ちを切り替えて年を越したいと思います。

(あまりブログ更新できませんでしたが)今年も一年ありがとうございました。

追記 ちなみに上記のお話は一切の脚色を加えてはおりません。もっとドラマティックな文章にできたらいいのでしょうが、残念ながら僕には文才がまったくありません。