僕が石嶺小学校を辞めた訳

僕が小学校の合唱で子供たちに暴言を吐いていたというデマが流れているなら、僕が石嶺小学校を辞めた件に関してもデタラメが出回っているのではないかと疑心暗鬼になるのもなんなので、今さらですが、僕が石嶺小学校を辞めることになった経緯を書き留めておこうかと思います。

2018年6月某日、石嶺小学校合唱部の保護者の飲み会があり、僕も指導者の先生も参加しました。そこで、僕はこの先生と言い争いになってしまいました。(当時、僕は石嶺中学校混声合唱クラブの指導もしていて、そのことでだと思います。)そして、どういう流れでそうなったのかは覚えていませんが最後に僕が捨て台詞のように「おまえ、二度と中学校に関わるなよ!」と怒鳴ってしまい、そのまま店の外に出ました。一緒に出てきた一人の保護者にあの言い方はよくないと諭され、店に戻って先生と周りの保護者に謝り、そのまま帰りました。

翌日、この先生に発してしまった「おまえ」という言葉が頭から離れず、罪悪感に押しつぶされそうになっていました。先生が上司などに「おまえ」と言われるのをとても嫌っていることを知っていたので、なおさら罪悪感で他のことが考えられなくなっていました。どうしようどうしようと思い悩んで思い悩んで、責任を取って辞めようという結論に達しました。今考えると責任を取るというより、押しつぶされることから逃げたんだと思います。

それで、さらに翌日になって、先生にメールで、飲み会の時に「おまえ」と言ってしまったことを改めてお詫びしたうえで、合唱部を辞めさせてほしいと伝えました。すぐには返事が来ませんでした。やっぱりまだ怒ってるんだと思いました。次の日になっても返事は来ませんでした。相当怒ってるんだと思いました。そしてその次の日になってようやく返事が来ました。「……私もシバミツさんから卒業しないといけないのかもしれません……」という返事でした。ああ終わった…と思いました。

そしてそのことを、飲み会の時に僕を諭してくれた保護者に伝えたところ、「もう一回だけ先生とお話しして!一緒に行くから。」と言ってくれて数日後に一緒に先生のところに行きました。でも僕はずっと黙っていました。自分が悪いのだから何も言えないと思ったのと、ここで僕が何かを話したらまた言い合いになっても嫌だと思ったからです。ずっと相手の話を聞いてもう終わりという頃に、一緒に来てくれた保護者に、最後に言いたいことがあるんじゃないかと背中を押され、ボソッと「ほんとはもっと一緒にやりたかった」と言ったら、「シバミツさん、ずるいよ!!」と言われました。

それをもって石嶺小学校合唱部との関係が終わりました。

先のことは何も考えていなかったので、一気に暇になり、お先真っ暗状態で、途方に暮れました。

 

こんな感じです。長々とした文章をここまで読んでくださってありがとうございます。

心の中のモヤッとしたものをやっと外に出せたので、気持ちを切り替えて年を越したいと思います。

(あまりブログ更新できませんでしたが)今年も一年ありがとうございました。

 

そういうことになってるんだぁ

昨日ある人たちと忘年会をしました。その時に面白い話を聞きました。

僕が小学校の合唱のピアノをしていた頃、僕は子供たちに暴言を吐いていたとのことです。

どこからそんな話が生まれたんだろう。誰がそんなデマを流したんだろう。

僕は子供たちに暴言なんて吐いたことはありません。指導者の先生に厳しいこと言ったことはあります。でも子供たちには暴言どころか厳しい言葉も言ったことはありません。

下の写真を見てください。暴言を吐く先生がこんな幸せな瞬間に出会えるはずはありません。

(この写真を使わざるを得なくなってしまって、写真に写ってる方々ごめんなさい)

デマを流した方、僕の前で同じことをおっしゃってください。

他に誰が信じるのか?

ピアノを手放してから気づくことがいろいろある。今は手放してよかったと思っている。代わりに電子ピアノを買ったので、作曲や練習にはそんなに不便を感じない。むしろ電子ピアノで既存のピアノ曲を弾くと、表現の上で何だか上手になった感じがして危ないwww

 

久しぶりに(ていうか何年かぶりに)自分の曲を弾いてみた。胸が熱くなり鳥肌が立った。それはなぜか、単純にいい曲だと感じたからだ。

最近はコンクールに応募しても落ちるし、胸を張って私は作曲家だと言える状態ではないし、これがシバミツの代表曲だと世の中一般に認知されている曲も無いし、挙げればキリが無いほどネガティブ思考になり、このままひっそり誰にも気づかれずに一生を終えるのかなと考えることもあったり……。

そんな時に自分の曲を弾いて自分の曲に鳥肌が立ってハッとした。

自分で自分の曲をいい!と思った。自分が自分を認めないで他に誰が認めてくれるのか、自分が自分の作品を認めてあげずに他に誰が認めてくれるのか、たとえ一寸の才能でも自分が自分の才能を信じてあげなくて他に誰が信じてくれるというのか。

恥ずかしながらそのことにやっと気がついた。今まではなぜ自分の作品は売れないんだろうとか、楽譜を出してもなぜ売れないんだろうとか、他人の評価ばかりを気にしていたと思う。

自分がまず自分のファンにならないと何も始まらないんだと思った。そう思ったのは初めてだった。いつも自分のことに対して後ろ向きだったと思う。

正月など、親戚のお宅に伺うと手料理でもてなしてくれて、「おいしいからたくさん食べて!」と言ってくれるが、その精神が僕には必要だなぁと思った。自分の曲を「この曲いい曲だから聴いて!」と。

演奏する地を見つけなければ。

歌声をイメージしながら

今年初めての更新が今頃になってしまいました。今年も残り半年ですが、よろしくお願いします(^_^;

少し日が経ってしまいましたが、去る6月11日(日)にむさし野ジュニア合唱団「風」第23回定期演奏会が催されました。今年もお声をかけていただき、拙作とともに参加させていただきました。昨年までは以前に既に作曲していた作品を演奏していただいておりましたが、今回は演奏していただいた4曲中1曲を除いてすべて新作でした。しかもその新作はむさし野ジュニア合唱団「風」の明るく爽やかな歌声をイメージして作りました。なので共演した時はとても感慨深いものがありました。実は他にもう1曲演奏していただく予定だったのですが、こちらから楽譜をお送りするのが演奏会間近になってしまい、残念ながら共演は実現しなかったので、いつか「風」の皆さんの歌声で聴ける日が来るといいなと思っている次第です。

 

それにしても、この日の演奏会で演奏された『オデコのこいつ』(蓬莱泰三作詞・三善晃作曲)は圧巻でした。こういう難曲を生で聴けたことがとても感激でした。

 

今年も声をかけてくださって本当にありがとうございました。




今年も何とか終えられました。

今年もお世話になった方々には本当に感謝です。捨てる神あれば拾う神ありということわざを実感する日々です(それは数年前からずっと感じていることですが)

特に東京在住の前田先生には並々ならぬお世話になりました。音楽を続けるモチベーションを保てているのは前田先生のおかげです。そのご縁もあって、音楽之友社の『教育音楽』を担当されている編集者さんともつながりをいただけているおかげで、今年はまず『教育音楽』中学・高校版10月号に出来たての合唱曲の楽譜を掲載していただき、11月に発売された小学生のための音楽会用合唱曲集『じんじん』には、昨年と今年にむさし野ジュニア合唱団「風」の皆さんと共演させていただいた『大村御殿~じんじん』が短縮版も合わせて掲載されました。

今年も朝日作曲賞に応募したのですが見事に撃沈してしまったので、その後の出来事なだけに何倍も嬉しかったです。本当に本当に感謝です。

来年は生活状況も変わりそうなので、作曲をさらに精進していきたいと思っております。

編曲の地位

とある曲を別編成に編曲をしようとした。その原曲はまだ著作権の保護期間内だったので、原曲の作曲者は亡くなっているのでそのご子孫にあたる方にSNSを通じて連絡を試みたが返答がない。そこでこの原曲と著作権契約を結んでいる音楽出版者に問い合わせた。そこで得たのは、原曲に忠実な編曲であればOKとのこと、さらに、編曲された作品に関するすべての著作権は原曲の権利者に帰属するとのことで、JASRACに編曲届を提出することもできないとの回答だった。

なるほど、と思った。原曲はとてもいい曲でもっと全国に知られてもいいはずなのに、だからあまり誰も手をつけないんだなと思った。

もったいないなぁ、本当に素敵な曲なのに。

編曲は作曲と肩を並べるほど重要かつ世の中への貢献度の高い仕事であると昔から考えていたので、とても残念な気持ちになった。

 

『いや』

月刊誌「教育音楽」中学・高校版の付録として谷川俊太郎先生の詩を合唱曲にした『いや』を掲載していただきました。

以前『大村御殿~じんじん』のCD録音に関わった時に、次回また新曲をと言っていただいたにもかかわらず長い間実現できずにいたのが、ある時家にあった「自選谷川俊太郎詩集」(岩波文庫)の中にこの『いや』という詩を見つけて、「この詩好きだなぁ」と感じ、早速合唱曲にしました。

これまでいろんなクラス合唱曲を見てきましたが、僕のような性格ではクラス合唱曲には向かないなと結論づけていましたが、『いや』に出会って、自分の心にとても響き、この詩を音楽にしたいと思いました。この詩と曲が、今悩みや苦しみの中にいる人々の心に寄り添い、少しでも前を向けるお手伝いができたらと願いながら作曲しました。

作曲して後に『いや』が入った詩集『こどもたちの遺言』を本屋で見つけて早速購入しました。