導音

あくまで僕の主観だが、西洋音楽の最大の発明は「導音」ではないだろうか。(もしすでにどこかの文献にあったり誰かが述べていたりしたらごめんなさい(^_^;)) 転調をする際にも導音がポイントになるし、楽曲の中で導音の入った和音を聴くと、まさにクラシック音楽だという気持ちにもなる。さらにその考えを決定づけたのが、『和声の歴史』(オリヴィエ・アラン著/永冨正之・二宮正之訳)だった。この本によると、導音は生理現象的に太古の時代からあったわけではなく、中世以来対位法に追随するように発展していった和声によって次第に作られていったものだったようだ。

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導音が西洋音楽固有のものだとすごく感じたのが、沖縄民謡をピアノや合唱に編曲した時だった。導音があまりにも似合わなかったし、コードをつける時にも導音の存在がどうしても邪魔だったし、違和感しかなかった。だからその種のアレンジの時には極力導音を避けたかったし、そうしてきたし、どうしてもその音が必要な場合は、いかに導音色を薄めるかを考えて使ってきた。

導音の存在感と個性と自己主張力は半端なく強い!